(過去記事 訳) [マガジンize] 【チャン・グンソク、ショーを愛する男】2013.12

(記事訳) [マガジンize] チャン・グンソク、ショーを愛する男 2013.12.13

ベネディクト・カンバーバッチがハンサムを演じるならばチャン・グンソクは美しさを演じる。
もちろんチャン・グンソクが美男でないという意味ではない。
ただし、KBS <きれいな男>で彼が演じるトッコマテは非現実的に美しい男だ。
10年以上前バスで彼を初めて見た後トッコマテの'おっかけ'になったキムボトン(アイユ)をはじめとして教師も、警察も、ネイルアーティストも女ならば誰でも彼の美貌に惚れ理性を失う。
しかしチョン・ゲヨン作家の原作を基に作られたキャラクターらしく'少女漫画の中から出てきた男'トッコマテを演じるチャン・グンソクは二十七才の人間の男だ。
二十才、KBS <ファン・ジニ>で優しい瞳の美少年ウノ坊ちゃまで女性たちの心をとらえた彼にも歳月は例外なしで跡を残した。
白かった皮膚は荒くなったし何をしてもさわやかに見えた時期はもう過ぎた。
それでもチャン・グンソクは水を飲む姿さえ'名画'と呼ばれて、後光が照らす世紀の美男を平然と演じている。
そしてあるTVインタビューで"私がそんなに…美しいですか?"と誘惑するようにささやくトッコマテの台詞を紹介しては爆笑を沸かせたチャン・グンソクはこう言った。
"何を考えてるか分かります!"

大衆が自分に対してどう思うのかチャン・グンソクは知っている。
五才で子役俳優生活を始めてから大人たちの顔色をうかがう術を学んだ彼は"インタビューでも大衆が求める返事をしてこそ叩かれず長生きできる"という処世術も早く悟った。
韓国社会でスターとして生き残る道は難しい。
本業は抜きん出て上手くしなければならないが他の面では目立たない方が良い。
自身の才能と人気に対しては分からないふりをしたり自虐に近い程謙虚に答えるのが無難だ。
野望は隠して'真正さ'を強調しなければならない。
だが、チャン・グンソクは演技をしてない時にも人々の目につく事をいとわない。
はっきり言って注目されることを楽しんでいる。
チャン・グンソクは2007年< Mnet KM Music Festival >でトランスジェンダーのロック歌手が主人公であるミュージカル<ヘドゥウィク>のナンバーを歌って金髪ウィッグに赤いリップスティックを塗った姿でセンセーショナルなステージを披露したし、ファンミーティングやコンサートではスティーブ・ジョブスや童話の王子様のようなキャラクターを演じながら登場する。
SBS <美男ですね>が日本で爆発的な人気を得て韓流スターに浮び上がった後についたニックネーム'アジアプリンス'を積極的に知らせたり、日本の道を行く女性に挨拶をして自分に気づいたら"俺人気ある"と意気揚揚とすることもあった。
ミニホームページの感傷的な文で'ホセ(虚勢)グンソク'という嘲弄を受けた過去に屈せず根気よく自分を見せ続け、それにより時には驚異的でさえあったチャン・グンソクのショーマンシップは、彼が立っている場所がどこであってもそこを舞台にしてしまい、スポットライトを引っ張ってきて自らを照らす。

チャン・グンソクの独歩的なショーマンシップが才能になることができるのは、彼が自分を客観視できる賢さを併せ持ったおかげだ。
MBC <黄金漁場> '膝打ち導師'で"男たちは僕を嫌う"と吐露するチャン・グンソクにカン・ホドンは"自分を完ぺきに把握している"と言った。
少女漫画の中の年下男ファンタジーを極大化した映画<君はペット> を撮影した当時チャン・グンソクは'手足がムズムズする'作品の属性に負けないために"僕が恥ずかしがったらその瞬間観客が僕をどんなに見くびるだろうか"と考えて演技したと言う。
つまりチャン・グンソクは単純なナルシシストと言うより'ナルシシズムに陥った私'を演じるのに老練な俳優だ。
映画<ドレミファソラシド>と<君はペット>、<きれいな男>、KBS <メリは外泊中>等、彼の出演作の中にはインターネット小説や少女漫画を原作にした作品が少なくない。
傲慢な完ぺき主義者だが分かってみれば意外に弱点が多くて可愛い<美男ですね>のファン・テギョンと、女たらしの毒舌家であったが愛に出会い純情を捧げる男に変わっていくKBS <ラブレイン>のソ・ジュンもまた、漫画的'ツンデレ(愛情を持つ相手に表面では無愛想に対しながらもそれとなく暖かく対する性向)'キャラクターの典型だった。

ある人はチャン・グンソクが韓流スターや万能エンターテイナーでない'真面目な俳優'に成長するのを期待しただろう。
彼の派手なショーマンシップと'自意識過剰'を良しとしない人々も存在する。
しかしデビュー22年目、"どんな演技をする時に何が必要なのかを知るために自分自身をまず探さなければならない"という持論を持つチャン・グンソクは、依然として自分を表わすのを恐れず、自ら付与したキャラクターを通じて戯画化されるのを楽しんでいる。
それゆえ<きれいな男>が自分の短所を長所にすることのできる作品だと考えるという彼の判断は正しく見える。
地球が丸いということとトッコマテが美しいということが同級の真理と受け入れられるこの世界で、一般人だがスターとしての気質、すなわち'オッパ'のアイデンティティを持って生まれたマテの日常は'フォーム生フォーム死'(※格好の為に生き格好の為に死ぬ=格好つけるために見栄を張る)で綴られる。
王子様のようなヘアースタイルと哀愁に満ちた表情で砂肝を注文し、なごやかに"イモォ~(叔母さん)"をささやき、キムボトンをこき使おうと"俺のために働け。 その代わり、俺の顔毎日見させてやる"とノコノコと提案するトッコマテの独特のキャラクターはチャン・グンソクの'一点も恥じることのない'演技によって完成される。
そして、自分の'仕事'を恥ずかしく思わない俳優は滑稽に見えない。
低い視聴率にもかかわらず<きれいな男>がチャン・グンソクの失敗作だと決めつけることができない理由は、彼がこの作品を通じて自分がある分野では誰より上手にできる何かを見せてくれているためだ。
もちろん俳優の明確なキャラクターが今後彼のキャリアに得になるのか毒になるかは分からない。
しかしチャン・グンソクが本当になろうとしているものが何なのかもまた、私たちは分からない。
去る11月から彼が直接製作して放送している'直進ラジオ'は、Podcastの'舞台芸術'カテゴリーに属している。
もしかしたらチャン・グンソクは自分の人生自体を舞台芸術に作って見せたがる人なのではないか。

元記事: media.daum.net/..131213085506349